フィリピンの悲劇 2015 9 22

2015年9月22日の読売新聞には、このような記事があります。

 フィリピンは、親米政権だったマルコス政権打倒後のナショナリズムに押され、
フィリピンの上院が、米軍の駐留条約の批准を否決してしまったのが、1991年だった。
 アジア最大だったスービック海軍基地とクラーク空軍基地は、
翌年までに返還され、米軍は全面撤退した。
 突然生まれた「力の空白」を突き、
中国は、フィリピン支配下にあったスプラトリー(南沙)諸島・ミスチーフ礁を1995年に占拠した。
以降、大規模な岩礁埋め立てによって、人工島を次々と造成し、
港湾や滑走路を整備していった。
(引用、以上)
 新聞記事にはありませんが、
よく指摘されるのが、
フィリピンの反基地運動において、
中国の工作員が多数活動していたということです。
 中国の場合は、軍事的な活動の前に、
工作員による工作活動が先行するという方式です。
 中国は、軍事力においては、アメリカに及びませんが、
工作員による工作活動は、世界トップと言えるでしょう。
 さて、フィリピンは、どうすればよかったのでしょうか。
米軍基地を撤退させる前に、強力な海軍を築くか、
北朝鮮のように北京まで届く弾道ミサイルを開発するか、
国土を守るためには、そういう選択しかなかったでしょう。
 インドは、中国全土を射程に収める弾道ミサイルを開発・配備しています。
インドは、中国との間に領土問題を抱えているからです。




































































































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